今日は経営品質関連のインストラクション勉強会に行った。
少数性でかなり濃い内容だった。
全国の商工会議所等で創業塾や経営革新塾の講師を務めており、
経営関連講座を担当するのは、当たり前のようになっているが、
今日の勉強会に参加して、
まだまだ自分の理解が不十分であると感じた。
けれど、もっと学びたい、という気持ちが湧くとともに、
やっぱ、経営が好きなんだな~、とあらためて感じた。
経営を学び始めたときのあのワクワクした気持ちは
今になっても消えていない。
経営者が経営のプロであるのは当然のことだが、
経営コンサルタントも別の意味で、
経営のプロでなくてはならない。
経営コンサルはよく、「専門分野は何ですか?」と聞かれる。
IT、財務、マーケティング、人事など、さまざまな分野があるが、
当社の専門は「組織」である。
「戦略は組織に従う」
「組織は戦略に従う」
両方真理であるが、前者のほうが強いと私は考える。
いくら学んでも、いくら実践しても、底知れない面白さがある。
経営をドメインに置くことで、毎日が輝く。
新しい発見が日々起こる。
こんなものに出会えるのは、本当に幸せなことだと思う。
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2007年7月20日金曜日
2007年7月8日日曜日
知識を疑ってみよう!
最近、「思考」について、反省することが多くなった。
「よ~く考えてみよう」
よく考えているつもりになっていたけど、
実は私たちはちっとも考えていないことが多い。
単純に教えられた知識を使っているだけ。
何も考えていない。
そんなことが、よくあるのではないだろうか。
知識そのものを疑ってみたことがあるだろうか?
たとえば、私たちのようなコンサルタントは
仕事上、「戦略策定プロセス」などということを知識として持っている。
でも、この知識を持っているだけで果たして本当に戦略をたてられるんだろうか?
私は、おそらく無理じゃないかと思う。
戦略たてるどころか、経営課題を見出すこともできないかもしれない。
既存の知識を現実の世界にあてはめてみても、
無理がある、
という意見をよく聞くが、
これは知識を「持っているだけ」だから起こる現象なんじゃないか。
そう。
知識を「持っていること」自体には何の意味もないのだ。
知識は一般化されて世の中に頒布される。
知識が「身につく」ということと、知識を「持っている」ということとは
大きく違う。
知識を持っていることは、深い思考をしたときにだけ役にたつ。
おそらく、深い思考の中で、「持っている」だけの知識を
「身についた」知識に変換している。
目の前にある現実の世界から、自分なりに思考する。
その過程では、知識そのものを疑うこともあるはずだ。
「こういうものだ」
という知識は、ひょっとすると固定観念、既成概念でしかなく、
思考停止の言い訳になったりもする。
知識に頼る限り、思考停止になる。
知識を疑ってみよう。
きっと、頭が働きだす。
「よ~く考えてみよう」
よく考えているつもりになっていたけど、
実は私たちはちっとも考えていないことが多い。
単純に教えられた知識を使っているだけ。
何も考えていない。
そんなことが、よくあるのではないだろうか。
知識そのものを疑ってみたことがあるだろうか?
たとえば、私たちのようなコンサルタントは
仕事上、「戦略策定プロセス」などということを知識として持っている。
でも、この知識を持っているだけで果たして本当に戦略をたてられるんだろうか?
私は、おそらく無理じゃないかと思う。
戦略たてるどころか、経営課題を見出すこともできないかもしれない。
既存の知識を現実の世界にあてはめてみても、
無理がある、
という意見をよく聞くが、
これは知識を「持っているだけ」だから起こる現象なんじゃないか。
そう。
知識を「持っていること」自体には何の意味もないのだ。
知識は一般化されて世の中に頒布される。
知識が「身につく」ということと、知識を「持っている」ということとは
大きく違う。
知識を持っていることは、深い思考をしたときにだけ役にたつ。
おそらく、深い思考の中で、「持っている」だけの知識を
「身についた」知識に変換している。
目の前にある現実の世界から、自分なりに思考する。
その過程では、知識そのものを疑うこともあるはずだ。
「こういうものだ」
という知識は、ひょっとすると固定観念、既成概念でしかなく、
思考停止の言い訳になったりもする。
知識に頼る限り、思考停止になる。
知識を疑ってみよう。
きっと、頭が働きだす。
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