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2012年10月11日木曜日

イメージ練習と波に乗ることの大切さ

歌手の仕事をやめてそろそろちょうど10年だ。
久しぶりに歌いたい気持ちが出てきたので、来年は10年ぶりにライブでもしようかと思っている。
ところで、歌手時代の私の歌の練習法を思い出したので書いてみたい。

20代前半の若い頃は、一人でスタジオにこもり、とにかく声を出しまくっていた。
ある時、あまりにも練習に熱を入れすぎて、コンサート前に本当に声が出なくなったことがある。
今思えば、なんと馬鹿なことをしたのだろうと思うのだが、当時は若くてエネルギーに溢れていたので、喉を痛めるまで歌わずにはいられなかったのだ。
たぶん、発声法にも無理があったと思う。自分の中で音楽を本当に噛み砕くためには、歌うしかないと思っていた。体力が尽きるまで練習に燃えたわけだ。そうすることで、自分の中のモヤモヤ感を払拭しようとしていたのかもしれない。
まあ、シャウトとまではいかないが、とにかく大声張り上げていた。そうしたらマジで喉がやられました。。。。この頃の歌はパワーオンリーだったのです。

30代になると、さすがに体力が落ちてくる。
声も出なくなってくる。
喉を痛めた経験もあるから、自分なりに調整することも覚える。
だが、歌手というのは声があまり出なくなってからが、本当の勝負なのではないだろうか。
パワーオンリーではムリと悟った時に、工夫が生まれる。
感情の機微を声に乗せることをし始める。
そうすると、どういうわけか、ぐっと歌がうまくなったりするのだ。

で、この頃はよく電車の中で歌の練習をしていた。
と言っても、電車の中で声を出していたわけではないですよ。いくら私でも、そこまで変人ではない。
イメージの中で、頭の中だけで歌っていたのです。

こんな車中練習法をしながら気づいたのだが、「こんな感じの声」というのが身体でイメージできると、実際に歌った時にもちゃんと声が出る。
20代の頃は、イメージする前に、とにかく先に声を出して喉を痛めたりしたわけだけど、この頃になると、先にイメージしてから声を出すので、喉を痛めるということはまずない。
ラクに声が出てるイメージが頭の中にあるから、無理して声を出そうと思わないし、意識せずとも身体が自然にラクな出し方をしている。
逆に「こんな感じの声」というのが身体でイメージできないと、やはり声は出ないものだ。

「身体でイメージ」というのは、本当に声が出ているように身体で感じるということ。身体のどの辺に響いているかとか、腹筋がどのくらい緊張しているかとか、呼吸がどうなっているかとか、そんなことをリアルにイメージしながら車中練習をしているってわけだ。
これはたぶん、スポーツ選手のやっているイメトレと同じなんだろう。
車中練習法はかなり有効である。実際に声を出して行う練習がゼロだとしても、ちゃんと本番で歌うことができる。

もう一つ大事なことは、こういうイメージ練習をたくさんしたとしても、本番では、イメージしたのと同じようにしようなんて思わないことだ。
イメージどおりに、なんて考えると柔軟性が失われ、逆に手足を縛られることになる。あくまでも、その時やってきた、その波に乗る! これで行かないとダメだ。
ライブ歌手の仕事は、結構、その場勝負だ。
共演するピアニストとその場で初めて会って、譜面を見せて説明して、即、本番!なんてことはしょっちゅうあるのだ。
互いにプロとしての実力を発揮する場でもあるわけで、歌手はピアノがどう出てこようと歌いこなしてこそプロなわけだ。ピアニストの中には、歌手を試すみたいに仕掛けてくるちょっと意地悪なタイプの人もいる。
まあ、こういう人は自分のピアノにプライドがあるんだけど。
わざと歌いにくいように、変化球を投げてくるピアニストもいるのだ。
この時、その変化球をしっかり捉えて、ヒットを飛ばせるのがプロなのだ。
お願いしたとおりに弾いてくれない、なんて言ってるうちは素人で、ピアニストは敬意を払ってくれない。
こんなライブを毎日、毎日、16年間もやってきたので、波乗りの楽しさはかなり味わうことができた。

さて、歌のことをつらつらと書いたが、これはたぶん、あらゆることに通じてる。
人前で話すとか、営業プレゼンをするとか、そういうシーンでも生きてくる。
というわけで、私は講師、コンサルになった今でも、イメージ練習と波乗りをやり続けているのだ。

2012年10月7日日曜日

読書のためのマインドマップ

今日は読書におけるマインドマップについて書いてみます。

これは、私がフォトリーディング講座で皆さんにマインドマップ活用をやってもらいながら気づいた体験上のことなので、トニー・ブザンのスピードリーディングとは関係ないですよ。
フォトリーディングを習ったけど、どうもマインドマップ活用がうまくいかないな、という人は参考になるでしょう。また、マインドマップを使って、どうやって読書したら良いのだろうか、と考えている人にも、おそらく役に立つと思います。
ある程度、読者の皆さんがマインドマップの基礎知識があることを前提として、書き進めてみようと思います。


まず、マインドマップの活用は大きく分けて、NOTE TAKE と NOTE MAKEの二通りがあります。

<NOTE TAKE>
ノートを取るということ。

人の話を聞いてメモをしたり、文章を読んでノートにまとめたりすることを指しています。
文章を読んでノートをまとめる際には、BOI と呼ばれる文章の柱を見出してからまとめることで、ある程度、構造的なマインドマップを作ることができるでしょう。BOIはカラフルなマインドマップを作成する時に、メインブランチと呼ばれる第1階層目のブランチの上に書くことになります。
一方、人の話を聞いてメモする際には、全体構造が見えない中でメモしていることが多いはずです。この場合には、ミニマインドマップという構造のないマインドマップを活用するのも良いでしょうし、自分なりに勝手に構造を作りながらカラフルなマインドマップを作るのでも良いでしょう。

<NOTE MAKE>
ノートを作るということ。

自分の頭の中にあるものをノートにまとめることを指しています。
おそらく、最初から構造のあるマインドマップを作るのは難しい場合が多いでしょう。なぜなら、人間の頭の中は、そもそもグチャグチャなわけで、色々なことが浮かんでは消えするし、一つのことを考えながらも同時並行的に別のことを考えたりしていて、整理されたものとはとてもじゃないけど呼べないわけです。特に、深く物事を考えているときほど、そうなるでしょう。
ですから、おそらくは構造のないミニマインドマップを描くことになるはずです。
構造のないミニマインドマップを自由に、それこそ頭に浮かぶことを頭に浮かんだように描いているうちに、だんだん頭の中が整理されてくるでしょう。というのは、マインドマップというのは、頭の中で起きていることを見える化するようなものだからです。特に、ある程度描いた時点で、俯瞰して全体の関係を見渡すといい。気づいていなかった繋がりが見出せて、それが思考の大きな転換に繋がることがあるはずです。
この辺りまできたら、自分の考えを構造的に再構築してみようと思うでしょう。この段階で、カラフルな構造のあるマインドマップを作り直せばよい。

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さて、二つのマインドマップの活用法についてはご理解いただけましたでしょうか。
それでは、ここからが読書におけるマインドマップなのですが、私の考えでは、大人が自分の目的のために読書をする際には、マインドマップは<NOTE MAKE> と<NOTE TAKE>の中間が良いと思います。

本の内容をマインドマップにきっちりまとめようとすると時間がかかります。マニュアルの内容をきっちりまるごと理解しようなどの場合には、まとめ型の<NOTE TAKE>で良いのですが、多くの場合、大人の読書というのは、「きっちりまるごと理解しよう」というような性質の作業ではないのではないでしょうか。

本を読みながら、「なるほど、そうか!」と膝を打つようなことがあり、その結果として、自分の考え、理解がまとまっていく。大人の読書というのは、こんな感じではないかと思うのです。

その読書プロセスにおいては、頭の中で、「著者はなんでこういったことを述べているんだろう?」とか、「今の私のこの問題は、こういう方法で解決すべきと思うが、〇〇の部分だけはどうして良いか分からない。どこかに書かれていないだろうか。」のような思考が起きている。この時には、「本をまとめる」という作業はあまり意味がない。

それよりも、自分の頭の中の疑問に対して、ヒントとなりそうなひっかかる部分を少しだけメモしながら読み進める。これは人の話を聞きながらメモを取るようなタイプの<NOTE TAKE>です。そして、ある程度読んだら、「要するにこういうことが書いてあったよね」と頭の中を吐き出すような<NOTE MAKE>的なかき方でマインドマップにメモを追加する。いずれもミニマインドマップが良いです。
こんな風にしてある程度読み進め、マインドマップのメモができてきたら、メモを俯瞰して眺めたら良いでしょう。すると、意外なところが繋がっていることに気づいて、頭の中で理解が深まってくるわけです。

たいていの読書はこれで終了で良いでしょう。

ただ、読書もアウトプットがあってこそ本当に生きる。
なので、何冊か同じテーマの本などを読んだら、どこかの時点で、読書を経て出来上がった自分の考えをマインドマップに描いてみると良いでしょう。
この時は本当に<NOTE MAKE>のマインドマップです。そのマインドマップを作成する際には、読書の時に作成したメモ的なマインドマップが生きるはず。かつて描いたミニマインドマップにさらなる書き込みをするかもしれません。そうしながら、だんだん頭の中が整理され、自分の考えがまとまってくる。途中で別途、ミニマインドマップを描いてもよい。自分の考えがはっきりし、思考の柱が見出せたら、カラフルなマインドマップを作ってみましょう。

さて、今日はここまでです。
何か質問があったら、気軽にブログ、FACEBOOKなどにご投稿ください。
FACEBOOKのほうが、良くみてますよ。

2012年9月20日木曜日

自分で作った会社の創立記念日を忘れた理由

9月1日はうちの会社、株式会社ヒューマン・リスペクトの創立記念日だ。今日は9月20日だから、ついこの前、創業8年となりました。しかし、なんたることか、9月1日のその日、私はこの大事な日をすっかり忘れておりました。思い出したのは9月5日。四日間も、頭にふっとさえ思い浮かばなかった。こんな大事な日を忘れるなんて、これってどういうことなんだろうと思って、今日はそのことについて書いてみたいと思います。

創業して以来、9月1日は私にとって、毎年、自分の実績を振り返る日となりました。
毎年、「あ~、今年はここまで来れた。よかった、よかった。でも、まだあそこまでは行けていない」のように、創業以来の出来事を振り返って、できたことを確認し、今後のことを思い、自分なりに納得。うちの会社なんて、パート1名と私だけの個人事業に毛が生えたようなものですよ。それでも、自分で作った会社って可愛いんだよね~。だって、会社って、何もできないゼロのところから、どうにか売上を上げて、信頼獲得して、少しずつ、いろんな仕事ができるように発展していくわけです。これは非常に感慨深いこと。だから、会社を持つ人間にとって、創立記念日は自分の誕生日以上に大切な日なんだよね~。

さて、そんなに可愛い自分の会社の記念日であるにもかかわらず、今年は創立記念日を忘れていたわけだ。いったいなぜ ??? 自分でも、これには驚いたよ!
この事実をネガティブに捉えれば、「仕事に熱が入っていないよね~」ってことになりそうなんだけど、ちょっと考え方を変えて、今回はポジティブに捉えてみたい。

たぶん、私にとって今という時期は、人生の方向を転換すべき時期なのだろうと私は思う。だから、過去の延長の記念日である創立記念日には意識が向いていなかったのだ(こういうとちょっとカッコいいよね~)。
では、どういう風に自分の人生の方向を転換しようと考えているんでしょうか・・・。

改めて、こうして独立8年という事実を振り返ってみると、まず、独立して本当に良かったと思える。本当に楽しくて素晴らしい8年間だった。しかし、最近、このままじゃいけないな~と感じている。今までの延長線で続けていると、きっとダメだろうな~と。なぜ、そう思うかというのは、良くわからない。まあ、勘みたいなものなんだけど、この勘が一番大事。そこで、今年に入って、私は以下のことに気をつけるようにしている。

(1)お金に縛られないように気をつける。
この8年を振り返ってみて、今日、本当にびっくりした。自由になりたくて独立したはずなのに、数年前までの私は本当にお金に縛られていたと思う。稼ぎ手は私だけなのに、スタッフを2名雇い、27万円も家賃を払っていたのだからムリもない。なんであんなに高コスト体質の会社をやっていたんだろうと、今は不思議に思う。売上を上げるのに必死で、苦しくて、「もう自分の会社やめたい・・」なんて友達に愚痴ったこともあった。まあ、創業数年間は大きな目でモノを見れないから仕方ないとも言えるんだけど・・・。でも、8年経つと、だんだん分かってくる。ちゃんと自分のすべきことをしていれば、お金は流れるように流れるし、長い月日の中では浮き沈みも当然ある。苦しければ会社をサイズダウンすればいいだけだ。だから、今の売上のことは、あまり気にしなくていい。お金は入るときには入るし、講師・コンサル業なんていう商売、不動産も設備もいらないんだから、お金が入ってこないとしても死にはしないのだ。売上を上げることなんかよりも、もっと他にすべきことがある。そのために独立したのだから。
やっと、そんな風に考えられるようになってきたし、そう考えていないとダメなんだと思うようになった。これって当たり前のことなのだが、結構難しい。経営者だったら、「売らなくては」と考えるのは普通だから。でも、何のために? を考えると、少し思考の転換が図れるんじゃないだろうか。

(2)頑張りすぎるのはやめる
うちの会社は、全世界から人に来てもらえる会社にしたいと思い、交通の便の良い千代田区紀尾井町に事務所を構えた。紀尾井町は私の出身校、上智大学のある場所でもあり、都心でありながら、派手さのない静かで落ち着いた雰囲気がとても気に入っている。そして、うちの会社の主催するセミナーには、実際に全世界から参加者が来てくださる。羽田からも、東京駅からも至近だし、東京の真ん中なのに緑が多くて静かな環境。どうせやるならナンバーワンになろう! 日本最高レベルの面白さで、最高レベルのサービスを提供しよう! その思いで紀尾井町に事務所を構えた。場所だけじゃなくて、内容についてもそれだけの自信を持って世界に情報発信したいし、恥ずかしくないものを提供していきたいと思っている。おかげで、まったくのゼロから始まった私の会社は、徐々に信頼を獲得し、今では有名企業からも直接ご発注をいただくに至っている。ビジネスに対する私のこの態度は間違っていなかったと思っている。しかし、ちょっとがんばりすぎていたところもある。正直、精一杯見栄を張って頑張ってきたよ。私とパート一人の本当に小さい会社なのに・・・。

また一方で、私が私でなくなるようなことは絶対にすまいと思ってきた。これは大事なことなんだけど、「絶対」とかって言っちゃうところは、かなり力が入っていたと思う。たとえば、私が今までの仕事の中で一番嫌だなと思ったことは、かつて一緒に仕事をしていたゼネコン出身のパートナーがクライエント企業の工場建設の相談に乗っていた際、クライエントにゼネコンを紹介し、工事代金の何パーセントかをゼネコンから紹介料としてもらおうとしたときだ。これはおかしい。だって、クライエントのために仕事をするのがコンサルなのに、クライエントに業者を紹介して、業者から紹介料をもらったら、おかしいよ。役人ではないから賄賂という概念ではないかもしれないけど、お金をもらったら業者に都合の良いような動き方をしなくてはならなくなる。その時点でその仕事はクライエントのためではなくなる。こういうのは嫌。お金のためにそんな仕事をするのは嫌だ。でも、その時はパートナーも稼がなきゃ、っていう思いで必死だったのだろう。そんなわけで、当時は主義主張のために大喧嘩していたわけだ。今でも私は嫌だと思っている。そんな仕事は今後もうちの会社ではしたくないし、関わりたくもないけど、パートナーとぶつかり合うだけでなく、もう少し別の対応方法が今ならできるように思う。

さて、話がどんどん広がっちゃっているが、とにかく一流のサービスを正々堂々と提供する会社になりたいと思って頑張ってきたわけだ。でも、ちょっと無理していたかな~と最近思う。こだわりすぎていたかも・・・。私は私。飾る必要なんかない。それを理解してもらえるクライアントとつきあえばいいし、自分は、おそらく多くの人に理解してもらえるだけのものを持っている。な~んて、思い込みだけの自信かもしれないけどね。だから、一所懸命に主張しなくても大丈夫なんだ。自分なりにやっていれば、ちゃんと分かってもらえるし、会社もすごく儲からなくてもちゃんとやっていける。だから、もう少し肩の力を抜こう。これが8年で分かったこと。

今、私は、週末は毎週、セミナー講師をしている。やっている最中はハイになっているからメチャクチャ楽しい。精神的には、色々な出会いや体験からどんどん吸収し成長していく。でも、月曜日になると、その反動のように身体がぐったりする。そりゃそうだ、講師をしている時はいつだってパワー全開にしているんだから、身体に出て当たり前だ。しかし、以前は、疲れていても休みも取らず頑張っていた。単に若かったのかな~。今はもう頑張らない。頑張ってもしょうがないと思っている。とにかく休む。身体も精神も白紙にする。きっとそこから新しい何かが生まれると思っている。日々の「業務」に流されていると、新しいものも生まれてこないからね。もっと肩の力を抜こう。

(3)出会った人を大事にする
独立以来、おそらく5000人以上の人達にあってきたのではないかと思う。うちのセミナーを受けてくれた人、私の講演を聞いてくれた人。仕事のパートナーや同業の仲間。講師経験もコンサル経験も全然ないのに独立して、順調にやってこれた私は、本当に周りの人に恵まれていたのだと思う。だから、一度出会った人はずっと大切にしたい。セミナーに来てもらったら、それ一度きりではなく、できるならまた会いたい。だから、みんなにまた会う方法を考えて続けていく。FACEBOOKでもどんどん情報発信するし、ブログも書いていこうと思う。誰かが見てくれて思い出してくれたら、本当に嬉しいもん。

(4)自分の殻を打ち破る!
どうすれば自分の殻を打ち破れるのか、正直言って全然分からない。でも、いつも殻を破らなきゃ、って思っている。歌手時代に井上七瀬さんというピアニストに大変お世話になった。数年前に他界してしまわれたが、私が出演していた立川のリザーブというお店の専属ピアニストをしていらっしゃった方だ。私の憧れの松宮一葉さんというカンツォーネ歌手を、陰でずっと支えてこられた方でもある。日曜の昼間にお店に行って、よく無料で歌を教えてもらった。タダであんなに真剣に教えてくれたなんて、今思うと私は本当に運が良かった。七さんにはいつも怒られてばかりいた。
「美樹ちゃん、なんでもっと自分を出さないの!」
「戦争に行くつもりで歌いなさい!」
「〇〇ちゃん、見てご覧よ、あんなに自分をだしているじゃない。美樹ちゃんはまだ出ていないよ!」

あの時から、今もまだ、ずっと思っている。
「なんで、私にはできないんだろうな~。」
苦しくて、苦しくて、自分って何なんだ、どうすればいいんだ、って、ずっともがいてきた。
私の中で、今でも何かがずっとくすぶっているように思う。
まだ、出し切れていない自分。戦いきれていない自分。
その自分を出すために、自分の殻を破らなくては。
そろそろ破れてきそうかな~~、なんて思いながら、また今、真剣にそれに取り組んでいく気持ちになっている。


以上、長々と8年間のことを綴ってみました。
では、またね~~。

2012年9月17日月曜日

人を巻き込むイメージ力

私は映画でもテレビでも、ちょっと泣けるシーンを見ていると、もうやばい。
あっという間に、涙ポロポロ、鼻水ズルズル、ぐしょぐしょのティッシュがあっという間に山積みになってしまう。卒園式、卒業式、送別会なんかも、絶対にやばい。とりわけ音楽には心揺すぶられてしまう。何も始まっていないというのに、開会前のブラスバンドの演奏だけで、パブロフの犬のように涙が出てきてしまい、もうまともな感情ではいられない。まだ、開会式さえ始まっていないというのに、すでにポロポロ、ぐしゅぐしゅ状態。家族はそんな私の習性をいつも呆れ顔で見ているのだが、自然に身体が反応してしまうので仕方ない。お願いだから、その音楽をやめて~っていう感じなのだ。

こんな風に、感情がすぐに湧いてくる習性を持っていると、日常においてはただの困った人なのだけど、別の場面では結構役に立つこともある。
たとえば、私の場合、歌手をしていた時には、この習性を上手く活用して瞬間的に歌の世界に入り込んでいた。イントロが1小節流れるだけで、体ごと別世界にワープできる。たとえば、「ふるさとの山」というタイトルの歌のイントロが流れると、3秒後には、私は、心地よい夏山の緑の中でまさしく今、空を見上げている。そこはふるさとだから、胸がちょっとキュンとして懐かしさがこみ上げてくる。これは頭の中で起きているだけの想像上のことなんだけど、身体は現実で味わっているのと同じように反応する。現実には私には山のふるさとなんてないのだが、「自分のふるさとは山だ」っていう状態になりきっている。腕の内側の肌がひんやりした山の空気に反応してザワザワッとしてきたり、目の前には広い高原が広がっているから視線は自然と少し遠くを見つめるような目になっていたり、というふうに、生理的な身体の反応が実際に起きてくる。
歌手や俳優は、こういった人間のイメージ力を活用して架空のイメージの世界に入り込み、そこで架空のリアリティを感じ、そのリアリティを表現することで見ている人の心を動かすという仕事をしているのだ。おそらく、私が普段、涙もろいのは、歌手の仕事をしていたのが大きな原因だろう。イメージの世界に入り込み、感情表現する訓練を長年しているうちに、ちょっとしたきっかけでイメージと感情が引き出されやすい体質になったのだろう。歌手だったから、音楽に感情が紐づいていることが多くて、ちょっと音楽が流れると、それが引き金になってしまうのだ。

これは言い換えると、イメージ力というのは訓練によって鍛えることができるということでもある。私の場合には、気が緩んでいるときは、自分のイメージ力に翻弄されてしまって、すぐに涙ポロポロの情けない人になっているわけだが、意識的にコントロールをすれば、イメージ力を自分の味方につけることができる。

イメージ力を味方につけると何がいいのか。
自分の作ったリアリティに入り込みやすくなるってことだから、まず、演じることが上手くなる。
「演じることなんて普段ないですよ」と思うかもしれないが、人は毎日、自分の役割を演じているよね。社長は社長の役を演じているし、課長は課長の役を演じている。お父さんはお父さんの役を、恋人は恋人の役を演じている。だって、「~らしく」っていう言葉を使うとき、自分の中に理想のイメージがあって、それを演じようとしているってことだと思いませんか?
とりわけプレゼンなどの人前で話すことに関しては、演じることが上手くなると圧倒的に上達するはずだ。私は講師業をしているけれど、やはり自分が好きだな~と思う理想の話し方、表現の仕方を演じていると思う。図々しくても、いかに自分の作り出した架空のリアリティの世界に没入するかだ。そのリアリティが強ければ強いほど、人を巻き込む力になり、魅力のあるプレゼンターになるだろう。よく「知らないうちに〇〇さんの話に引き込まれました」というのは、話し手の作り出した架空のリアリティの世界に巻き込まれたということなのだ。どうだろう。こう考えると、イメージ力を磨くことは決して侮れない。

イメージ力を自分の味方につけたいと思ったら、まず、イメージが自分に与えている影響について、良く理解しておく必要がある。
私たちは日々、知らないうちに色々なイメージの影響を受けて生きている。
たとえば、日々暮らしている街や通勤路。毎日そこにいるだけで、そこを通るだけで、自分が意識をしないでいると、知らないうちに影響を受けてしまう。
日当りも風通しも良い気持ちのいい場所だったら、自然と良い影響を受けとっているので問題ないが、暗い雰囲気の場所だったらどうだろう。知らないうちに影響を受けて、自分の心まで暗くなってしまうのではないか。意識して気をつけていなくては、簡単にやられてしまう。
他にも私たちの心に影響を与えてくるものは、生活の中に溢れている。テレビ番組なんて無意識で見ていたらダメだ。テレビを無意識で見ていたら、自分の考えは、本当の自分の考えなのか、それともテレビの描き出したイメージが自分に影響を与えた結果の考えなのか、気づかないうちにまったく分からなくなってしまうだろう。
まず、こういったことを理解して、自分が接するべきイメージを意識して選ぶ必要がある。もし、お子さんのいる人だったら、子どもが接する可能性のあるイメージをしっかりチェックして、ある程度コントロールする必要があると思う。なぜなら、子どもは心の枠組み?ガードみたいなものが出来上がっていない分、大人以上にイメージの影響を受けやすいからだ。大人ならはじき返すことができるイメージでも、子どもははじき返せない。まともにその影響を受けてしまう。私は、子どもにオカルト映画を見せたり、暴力シーンなどを見せるのは反対だ。どれほど強くて悪い影響があるか分からない。

自分が接するイメージを選ぶということは、付き合う人、出入りする場所、通る道、身につけるものなど、生活そのものを一つ一つ選択するということだ。とりわけ付き合う人を選ぶ時には、気をつける必要がある。社会的に評価されている人であっても、実は、近づいてはいけない人であることもある。だから、社会の評価ではなく自分の評価で判断する。私はそういう善し悪しを判断する感覚というのは、人間は自然に身につけているように思う。自分が自分らしく生きていくために必要なものを、自然に選び取る力というのは、先天的なのか後天的なのか分からないが、誰しもある程度持っている。ただ、持っているのに使えていないことが多い。自分の直観よりも世間の評判のほうを人は信じがちだからだ。だから、自分の直観に素直に従って、嫌な感じのする人とは、たとえ社会的評価が高い偉い人であっても、付き合わないほうが本当はいい。自分の感覚を信じてあげよう。

自分が接したいと選択したものごとは、実体験として触れることができないとしても、頭の中で想像するだけでその影響をもらうことができる。良いイメージをリアルに頭の中で思い描けば、身体はそのイメージに反応し影響を受ける。私がイントロ1小節で簡単に山にワープできるのと同じことだ。イメージはリアルであればあるほど影響度が高い。そして、イメージのリアリティを高めるためにはイメージ力の訓練をすればよい。

私が知る限り、このイメージ力のトレーニング方法のうち、実績があり信頼できるものは演劇界で行われている「メソード」という手法だ。アメリカの演技指導者リー・ストラスバーグがロシアのスタニスラフスキーの理論を元に開発したもので、ジェームス・ディーンもマーロン・ブランドもマリリン・モンローも通っていたと言われるニューヨーク・アクターズスタジオで行われていた演技訓練がこの「メソード」だ。私は20代の時に、NHKアクターズスタジオに通って、メソードを教わった。どんなものかというと、五感の記憶を想像上でリアルに再現し、それに基づくリアリティある表現をするための訓練だ。コーヒーカップがそこにないにもかかわらず、コーヒーを飲む演技が上手い役者は、コーヒーを飲む時に感じるあらゆる感覚を再現するのに長けている。カップを持った時の指の感触、それを持ち上げた時の腕の筋肉への力の入り方の感触、ほのかに香るコーヒーの香り、口に持っていった時のカップの感触、口にコーヒーが流れ来んで来るときのその感触、味わい、温度。こういった五感の記憶をいかに空想上で再現できるか。それをまず訓練する。

リアリティのある表現というのは、二段階の構造になっていると私は思う。まず、自分がそのイメージにリアリティを持てないと表現の元ができないから、自分の内部で感じる感覚にリアリティを持つのが第一段階。第二段階は、自分の感じている感覚を素直に隠さず表現するということだ。この二段階を経ることで、演技は成り立つ。
人を巻き込む振る舞い、話し方、表現というのは、こういう仕組みになっている。第一段階は、自分が自分のイメージの世界に没入し、五感でリアルにそれを感じること。第二段階は、自分の感じている感覚を素直に隠さず表現すること。

イメージ力を高めることでできることは他にもたくさんあると思う。
それについては、また次回。今日はここまで。

2012年9月15日土曜日

必殺仕事人、勝手にイメージを描く

今日はマインドマップ・ネタで行きます。
お題はこれ。
 
「マインドマップには、なぜイメージが必要なのか?」
 
開発者のトニー・ブザンの考えについては、他のインストラクターもいろいろ話してくれると思うけど、私が個人的にこれに答えるとすると、ずばり!!
 
「そのほうが仕事が早くなるから」
 
「本当かよ? お絵描きしていて仕事が早くなるだと?」
というツッコミが入りそうですが、本当です。
 
私の考えでは、凡人が仕事のスピードを早めようと思ったら、イメージを使えるようにしないとダメなんです。ここでいうイメージとは、お絵描き、マーク、アイコン、ラクガキなどの総称で、決して綺麗なイラストのことではありません。 
 
エリートビジネスマンは論理的思考力が高いし、言語的能力も高いでしょう。でも、必殺仕事人を目指すのなら、さらにプラスして、イメージを描く習慣を持つといいと思う。なぜって、イメージのほうが文字よりも、認識できるスピードが早いし、ダイレクトに心の風景を表すことができるから。
 
街を歩きながら、私たちは色々なイメージ表示を目にしています。交通標識なんて、すべてイメージですよね。あんなものを言葉で表記したら危険だと思いませんか?文字を読んでいる間、視線が標識に奪われて事故を起こしますよね。イメージだから瞬間的に認識できる。
また、芸術作品はやはりイメージで表現されることが多い。芸術っていうのは上手とか下手とかいう評価軸とは関係ない。カラオケなら、「あの人、カラオケ上手いよね~」となるけど、本気で音楽やっている人に、「あの人、歌うまいよね~」って、これってどう思いますか?褒めるなら「あの人の歌っていいよね~」ですよね。上手いとか下手とかっていう尺度は関係ない。
芸術においては単にその作品に、その人の生き方が投影されているかっていうことだけが大事。で、言葉で芸術もできるけど、言葉にならないものはイメージとして表現される。芸術の話はマインドマップと非常に関係が深いと思うけど、これを考えだすととんでもない深みにはまってしまいそうなので、今日はちょっと触れる程度にしておきたい。
 
さて、ノートを取る時に、簡単なものでいいからイメージを入れることがササッとできれば、後で見て分かりやすいに決まっている。全部、言葉じゃ読みにくい。色だってそう。全部モノクロだったら、何が大事か分からない。
 
と、こんな当たり前のことなのに、多くの人はイメージをノートに使うのには抵抗感がある。子ども時代、図工とか美術の時間に、素直に自分らしい心の風景を表現したら、先生なんかに周りの子たちと比較されたコメントをもらい、「自分は絵が下手だ」と思ってしまった。これは私の体験です。でも、こういうふうに生徒に思わせてしまう美術教師はダメだと思う。本来は、単にその人の持っているもの、生まれつき持っている才能がその人なりに生かされればいいだけなんですから。

だから、マインドマップのイメージって、上手である必要なんて全然ないと私は思います。
目的に応じて、イメージを使うことができさえすれば良い。
瞬間的に分かりやすいイメージ表現が必要な場合には、色々なアイコンを自分の頭の中に用意できているといいでしょう。そうすれば、パッとノートを取ることができて、仕事のスピードは確実に上がります。
また、クリエイティブな仕事をするのなら、自分らしい心象風景の表現ができていればいい。バランスが悪かろうと、ちょっと描き損じがあろうと、関係ない。心の中で見えてきたプロセスをそのまま書き表せばそれでOK!

さて、マインドマップそのものは芸術でありうるのか?

ありうると思う。
だけど、雑誌などに掲載されている綺麗すぎるマインドマップに影響されすぎてはいけない。
私もそうなので、自戒も込めての意味なのだが、本来、「綺麗なマインドマップなんて!」くらいの気持ちを持っていて丁度いいはずだ。
自分の精神活動を通して、自分が何を今、得たかが大切なだけなのであり、マインドマップはそのプロセスを良いものにするツールでしかないのだから。

2012年6月18日月曜日

手作り動画テスト中!

音が悪いし、きちんと撮っていないので、品質イマ3なのですが、
どんどん情報発信するなら自分で撮るのが一番かと思い、
早速スタッフとともに、まず1本目のテスト動画、撮影してきました。

今回は、うちのセミナー会場までの道のり紹介ビデオ。
普段、私が飲み歩いているお店や、
忙しいとお泊りしちゃう近隣のすぐれものホテルもご紹介しています。

正直言って撮影(うちのスタッフ)も出演者(私)もヘタクソです!
でも、お願い、見てちょうだい。
そして、動画の撮り方アドバイス、皆さんお願い! 頼むね~。



2012年6月1日金曜日

不要な抵抗を起こさないための言葉選び

こんばんは~。
今日はお世話になってる研修会社さんのパーティーにいってきました!
見渡す限りの講師、講師、講師。
そもそも講師って熱い人材、くどい人材。
これだけ講師が集まると、その場が熱いこと!
そのパワーに圧倒されてきましたわ。

さて、久しぶりに言葉ブログ書きますね。
今日のテーマは、何を言っても聞く耳を持たない人の心を、どう掴むか、です。
私にもたくさん経験がありますよ。
講師業なんて、そういう受講者の抵抗にどう対処できるかで、講師の実力が決まると言っても過言ではない。
講師が何を言っても逆らってきたり、または、冷めきっていて乗ってこない。
こういう場面って、案外あります。
こちらは結構、辛いんですが~。
皆さんの職場にもいませんか?
何を言っても突っかかってくる部下とか、何を言っても首を縦に振らないひねくれ上司とか。こっちが燃えて、「やろうよ!」とか言っても冷めたままの社員とか。。。

まず、私が独断的に思うには、聞く耳を持たない人というのは、何かに対して怒りや不満を持ってる。
私も時々、聞く耳持たない頑固者になっちゃうことがあるけど、やっぱり何かに怒ってたり、不満を持ってるから聞きたくないの。
だから、きっと他の人も同じだと思う。
怒りの原因はあなたかもしれないけど、もしかしたら違うかもしれない。
単に不機嫌なんてこと、人間だから当然あるんですよ。
理屈にあわないけどね。
本人も抑えたいんだけど、うまくいかない。ただ、その人を刺激しちゃうことだけは避けたいよね。
まあ、人の機嫌なんて、もともと勝手なもんなんだから、自分は悪くないと理詰めで行ってもしょうがない。
こっちとしては「このわからんちん」と諦めてほったらかしてもいいけど、それで目的が達成できないようじゃ、プロとは言えない、素人でしょ?
何のプロかはその人それぞれですが。
ということで、ここから先は必要に応じて努力すればいい。
でも、毎回諦めてるようじゃ、人間が小さいぞ!

さて、抵抗をすり抜け相手の心に楔を打ち込む方法ですが、私の経験から、こんな手があるよという話を探してみました。
他にもあると思うので、是非教えてくださいな。
みんなで共有して、ケースバイケースで試してみるのも良いのでは…。


1.いったん受け入れて気をそらさせる

何かに固執していて、その事に関しては聞く耳持たず、とにかく「嫌です」っていう場合。

たとえばね、30人くらいの受講者を対象にセミナーを開催すると、中には、場の雰囲気についていけず、気持ちがネガティブな方に行ってしまう方もいらっしゃる。
仕方ないことなんです。
普段、頑張っている人ほど、真剣だし、繊細なんだから。
もちろん、こちらの言動も要チェック!
まずいことをこっちがしてしまっていたら、もちろん素直に謝る。
でも、そうじゃないなら、この手です。
まず、その人の固執しているものから気をそらさせてあげるんです。

個人演習中、その人が何もできず困っている様子(実は困ったを装った反発している様子かも)が見られたら。…すかさず近寄り
「あの~、どうしました~?」
「うーん、よく、わかんないんだよね~、考えたことを書けって言われても何も浮かばないし、考えられませんよ」

こういう時の最悪の対応法
「いや~、そんなに難しいことじゃないんですよ。ただ、考えたことを書くんでいいんですよ、深く考えずに…」
「浮かばないんですよね」
「人間、何も頭に浮かばないなんて事、ありえないんですが..」

正論ではありますが、正論を言えば言うほど、相手の心はそっぽ向きませんか?

で、別のアプローチでは。

「そうですか~。確かにそういうことってよくあるんですよ。(受け入れ) 分かりましたので、じゃ、その演習はまあ、しなくてもいいですので、せっかく時間ありますから、○○しませんか?(気をそらさせている。相手が必ずできそうなことを選ぶ) これならできますよね。(できないとは言わせない言い方)」

これでうまくいけば、このあとにちょっとハードなことを要求しても、相手は聞いてくれる可能性が高い。
相手のペースが変わればOK!なんですから。
ここでのポイントは相手の心を支配しているなんらかのペース、それはもしかしたら怒りみたいなものに影響されてるんだけど、を壊すこと。
こっちがして欲しいことを、今してもらう必要はないんですよ。
ペースを変えることができれば、じきにうまく行くから。

はい、今日はここまでね。もう、遅いので。では、また次回!

2012年5月23日水曜日

言葉の裏の意味

久しぶりのブログになってしまいました。
でも、今回はもう少し書き続けるよ。
100の記事ができるまでを一つの目標にしよう。
これは5つ目かな。

今日は、言葉に絡めたコミュニケーションの失敗について書きます。
私もたくさん失敗して、イタイ目に会っています。
私たちが人と言葉を交わす時、時々、表の意味と裏の意味があるなんてことはないですか?
これって、言ってる本人には自覚がないから余計に厄介。
恋人同士のケンカなんて、まさにこれだ。

「その仕事、いったい何の意味があるの? 無意味じゃない。そんな仕事してるあなたなんて」
とヘソを曲げる彼女。
しかし、本当は彼女がヘソを曲げているのは、彼の同僚の可愛い女の子のことなんだ。

「なによ、あんな女と親しげにしちゃって。ふん、あんな女のどこがいいのよ」
と、心の奥で怒っている。
でも、彼女はそれをストレートには表現できないんです。
ヤキモチ焼きの自分の醜い面を恋人に見られたくないからだ。
だから仕事のことに置き換えて表現してるわけだけど、
彼の方はストレートにそれを受け取る。

「いや、あの仕事はとても重要な意味があるんだよ。僕が真剣に取り組んでいることを、そんな風に言わないでくれないかな。余計な口だしはやめてくれ」
ってことで、二人のケンカは決裂してしまいます。
本当は「他の女性とは仲良くしないで」と言えば
ラブラブムードのまま済んだことが、こんなことになっちゃうんですね。


仕事のシーンでも、たまに起きています。
アポを取って来社した営業マンが
「御社なら、このくらいのレベルは当たり前でしょうが。さらに一歩上を目指しませんか? 御社の社員さんならおできになると思います」
とか言いつつ、さりげなく商品の提案をしてくる。

丁寧で何の問題もない言葉なんだけど、
なぜか気分の悪い営業マンだ。
持ち上げられれば持ち上げられるほど腹が立ってくる。

そんな経験ないですか?
もちろん、持ち上げられて喜ぶ人もいるが、そういうのは論外だ。
表面上の丁寧な言葉は、本音じゃないことが感じ取れる。
まわりくどくて言葉に嘘を感じるから気分が悪くなるんです。
営業担当の人、見破られてるから気をつけてね。


さて、言っている本人も気づかない言葉の裏の意味。
これがコミュニケーションの失敗に繋がってるわけだけど、
どうしたらいいんだろうか。


まず、こういうことが起こりうるってことを知っておくことだ。
そして、うっかり自分が裏のコミュニケーションの罠にハマってしまったら、
極力、正直になり、相手への敬意を持って努力する。

少し時間を置く必要もあるかもしれないけど。

素直で謙虚な気持ちがあれば、
きっと失敗から脱出できるから!

これって自分へのメッセージ。(笑)

2012年5月14日月曜日

使う言葉で思考が分かる

ハーイ!
素敵な週末を過ごしましたか?
さて、前回は、人は皆「思考の前提」を持っていて、
それに気づかないためにミスコミュニケーションが起きてしまうという話でした。
今回は、同じく「前提」についてなんだけど、
今度は自分の人生を変えてしまう「思考の前提」について、お話しますね。

数年前、私が講師を担当しているマインドマップのセミナーに、
18歳の大学に入学したばかりの女性が来てくれました。
九州から娘を訪ねてきたお母さんもご一緒で、親子揃って受講してくださいました。
お昼休みの休憩で、お二人と一緒に昼食を取りながら、
娘さんは九州から東京に出てきて一人暮らしをしていること、
九州で彼女のお父さんは税理士事務所をしていらっしゃることなどをお話してもらいました。

「この子も在学中に、税理士試験に合格するって言ってまして。主人の事務所を継ぐと。」(お母さん)

「うわー、ご自分でそう言ってらっしゃるんですか? 若いのにすごいなー」(私)

そんな話があったあと、食事が終わり、
セミナー会場に戻る道すがら、娘さんが何気なく言ったんです。

「税理士取ったあと、在学中に他のことも勉強しようと思っていて、マインドマップは、そういう時にも使えそうですね。」

彼女の言葉を聞いて、私は
「この人は必ず在学中に合格する」と思いました。

なぜかって、彼女の言葉からは、彼女の思考の前提が読み取れるんです。
彼女は、自分は間違いなく在学中に合格すると信じていて、また、決めていて、その前提で話している。

不思議なことですが、人は自分の頭で考えたようにしか生きられないようです。

彼女がもし、
「税理士試験は大変だし、まあ、卒業して何年かかけて合格できればいいか」
と考えていたならば、あの時の言葉は、もっと違ったものになっていたはず。

「もし試験に合格できたら、別のことも勉強したいと思っているんです」とか…。

「もし…できたら」という言葉が入っているだけで、本気で覚悟できていないことが分かってしまう。
大人になると、変に謙遜したり、うまくいかなかった時の予防線を張ってしまい、
「もし…できたら」なんて事ばっかり言うようになるけど、これじゃダメなんだよ。
できなくても大丈夫なように自分で逃げ道を作ってる。
でも、何か大仕事を成し遂げようとする時には、背水の陣に立たなきゃならないんだ。
若干18歳の彼女は、自分を信じて自分に予防線を張っていなかった。
それだけで、私は彼女の可能性を感じたな。

私が中小企業診断士の試験を受けた時もまったく同じだった。
予備校に来るサラリーマンの皆さん、合格したいな~と思ってはいるんだろうけど、使ってる言葉が悪い。
平気で「3年計画で、まあ、ボチボチやってます」なんて言ってる。
逃げ道作りまくりだよね。
悪いけど、そんなことを言っているようじゃ、3年たったって、合格なんかありえないよ。

私に催眠療法を教えてくれた先生は、「言葉は心の栄養なんだ」と教えてくれた。
そう、自分の発する言葉に注意してみてください。
その奥には自分の思考の前提が隠れているんです。
逆に言葉を変えることで、思考の前提を変えることだってできるんです。

あら、今日は思いっきり強気の発言になっちゃった。でも、納得した人は、今日から自分の言葉を少し意識してみてね!

2012年5月12日土曜日

「そうか。それで?」と言ってみよう

さーて、前回は「話が上手い」という切り口で、リアリティについて書きました。今回は、「上手い」じゃなくて、「間違わない」話をするための言葉選びについて書いてみようと思います。
間違わないっていうのは、つっかえないとか、不正確なってことじゃないよ。
その場にそぐわない話をしない、相手を傷つける話をしないっていうこと。
もちろん、みんな、そんなことしようとは思っていないだろうけど、案外やってしまうものなんだ。私も何度も失敗している。
まあ、ピントがズレてる天然ボケ気味の可愛いのはいいんですけどね。
さて、なぜ、そんな間違った話をしてしまうと思います?
私の考えでは、人はみんな、自分の前提というものを持っていて、その前提に基づいて無意識に話をしてしまう。でも、その前提は相手にとってはおかしなものだったり、受け入れ難いものだったりもする。ところが、話をしている本人は、自分でそのことに気づいていない。ミスコミュニケーションの多くは、これが原因。
たとえば、友だちがリストラにあったとしましょう。あなたは、そのことを本人から打ち明けられました。さて、あなたはその友達に何と声をかけますか?

1「いや~、大変だったね。でも、どうにかなるよ。」

2「良い機会だったんじゃない。これからだよ。」

3「そうか。それで、どう思っているの?」

いずれも、まあまあ妥当な回答のように思うよね。
だけど、私だったら、相手の真意が読めない時は、3番のアプローチで行くな。
1番は「リストラ=ネガティブ」という前提があって出てきた言葉でしょ。だから「大変だったね」という言葉が出ている。でも、確かにリストラにあうのは大変かもしれないけど、もしかしたら、その友達は以前から退職を考えていて、背中を押されるような出来事として受け止めたかもしれない。あなたが、その友達の考えや気持ちを、常日頃、把握していれば、こんな間違いは起きないのだけれど、無神経な人ほど、そういう日頃のコミュニケーションもなく、こういう言葉を言っている。あなたにこんな風に言われた友だちが、「いや、そうじゃなくてさ...」と、切り返してくれればいいけど、下手をすると、あなたのペースで話が進められ、相手はうんざりってこともありうるよね。

2番も実は同じだよね。「いい機会」というのはポジティブな捉え方だけど、その言葉の裏には「普通はネガティブに捉えることだけど、ポジティブに捉えようよ」というニュアンスが入っている。結果、ネガティブなことが起きたといってるのと変わらない。

それに対して3番は受け止め、相手の意図を問うアプローチだ。
受け止めの言葉は「そうか」の一言。他にはいらないんだよね。下手に言葉を増やせば、そこにあなたの評価が入りがちになる。

「そうか。それで?」

この簡単な受け答えほど、相手に「もっと聞いてもらおうかな」と思わせるものはないんじゃないかな。共感した人は、今日から使ってみて!

2012年5月8日火曜日

テクニックだけでは上手くいかない

前回は、話をする時にリアリティを持って話すと引き込まれるっていう話でしたね。
例を上げたけど、リアリティを感じさせる要素については書かずに、宿題にしましたよね。
みんな考えたかな?
私の考えでは、リアリティ、臨場感と言ってもいいんだけど、これを作り出す要素は大きく二つある。
一つは、五感の感覚を想起しながら話すこと。
もう一つは、現在起きているつもりで話すこと。
注意して欲しいんだけど、言葉に五感表現を入れる、とか、現在進行形で話す、じゃないよ。
どう違うかっていうと、前者は話し手の頭の中のことを言ってるのに対し、後者は表面的な技法について言っている。
後者のような技法ばかりに脚光が当たりがちだけど、それでは絶対にうまくいかないよ。
技法分析じゃダメ。心から、自分がその世界に没入するのよ。
このことは、私が歌手をしていた時に学んだことなんだ。
小上手な歌手はテクニックが見え見えで、素人さんには上手に聞こえるだろうけど、心に響かない。
本当にハートをノックアウトされる歌って、
どうやって歌おう、どんな声を使おうなんて、まるっきりなくて、
素のままの歌手が、そこに立っているって感じなんだよ。
そうそう、話はズレるけど、私の歌の師匠は、いつも言っていた。歌手はみんなの前でストリップしてるのと同じなんだよ、って。
それだけ、素の自分を出して、真剣勝負してるってこと。話をする時も、テクニックだけじゃダメ。
裸になって、真剣に表現するから、リアリティも生まれるんだよね。
今回のお話はここまで。
他にも要素があるよって思った人は、連絡ちょうだい!

2012年5月6日日曜日

なんで、あの人の話はリアリティがあるの?

話の上手い人の話を聞いていると、知らないうちに引き込まれますよね。
その人の世界「〇〇ワールド」に入り込んじゃう感じ。
同じ内容の話をしても、普通の人だとそうはならない。
上手い人の話は、どこが違うんだと思います?

私の考えでは、違いの要素は一杯あるんだけど、
今日はそのうちの一つ・・・「リアリティ」について書いてみようと思います。

たとえば、こんなかんじ。。。。
会社の朝礼のスピーチでのお話だと思ってね!

「きのう、友達と渋谷を歩いていたら、雹が降ってきちゃいまして~、傘もなくて慌てちゃったんですが~、すぐにビルの中に入って無事に怪我もせずにすみました。実は、すぐにビルに入るという選択は私ではなく、一緒にいた友人がしてくれたんです。やはり、大事なことは意思決定の早さだな、と実感して、勉強になりました。」

たしかに、間違ってはいないけど、なんか心に響かないよね。
さて、次のはどうかな。

「きのうは、ちょっといいことがありましたので、皆さんに共有したいと思います。実は、昨日の夕方、三年ぶりに親しい友人と会いました。5時に渋谷のハチ公前で待ち合わせて、居酒屋にでも行こうよってことになり、歩き始めたんですが、ちょうど、駅前のスクランブル交差点を渡り始めたところで、突然雷が鳴ったんです。昨日は、昼間は晴れてましたんで、まさか雨なんか降るはずもないと思って、傘も持たずに出かけていました。パラパラっとちょっと強めの雨が降ってきたんですが、どうせすぐやむだろうと思って、私は「まあ、大丈夫だよ」なんて言って、そのまま行こうとしていたんですが、友達が言うんです。「ちょっと待って、あの雲行き、ちょっとおかしくない?」そう言われて空を見ると、確かに空が真っ黒で、パラパラ程度の雨じゃ、とてもすまなさそうな感じでした。彼女はすぐに「そこのビルに入ろう」と、交差点を渡りきった目の前にあるビルに私を引っ張っていきました。私たちがビルに入ったそのとたん、ガ~ってすごい音がし始めて、雹が降り出したんです。かなり大きい雹でした。・・・・・・・あのまま、歩いていたら絶対に怪我していました。彼女の素早い判断、素早い意思決定のおかげで本当に助かりました。仕事においても、似たようなことがありますよね。ついつい、まだ大丈夫、と見逃していますが、実は兆候は現れているんですよね。でも、注意深くしていないとその兆候に気づかない。昨日は、そんなことに改めて気づいたので、皆さんにシェアしたいと思ってお話しました。」

あ~、長くなっちゃったけど、違いは分かるでしょ。リアリティがあるよね。
だから、話を聞いていて引き込まれるし、心に響く。
では、リアリティを生み出す要素ってなんだと思う?
考えておいてね。
この続きはまたね。。。

2年ぶりにブログ復活してみます。。。

気づいたら二年間もこのブログを放置していたんだわ。

最近はめっきりFACEBOOKにはまっていましたが、少し長めの文章はブログに書こうかなと思い、
一念発起でブログを復活させます。
このブログは創業前から書いているから、ちょっと恥ずかしくもある。
しかし、これも私の歴史なのよね。

さて、どうせ書くなら、今回はテーマを決めようということで、
しばらくの間は「言葉」について、書いていこうと思っています。

私はプロ講師、人前で話をするプロです。
つまり話すのが得意な人ってことなんだけど、
どう得意なんだろうか?
実はず~っと長い間、なんで自分が人前で話ができるのか分からなかったんだ。
話し方なんて、一度も習ったことないし。。。
自分に自信もないし。。。

声がいいとは良く言われましたよ。
元歌手なんだから、それは当然。声はマジで鍛えてきたから。
でも、それだけじゃつまらないでしょ。
声がいいだけで話なんかできないよね。
で、ず~っと考えてきたんだけど、
たぶん、「言葉の選び方」っていうことが、大事なんだと思うし、
私が追求したいテーマなんじゃないかなって、最近思い始めた。
で、ブログ復活させて、それについて書いていこうと思ってます。

それじゃ、さっそく次のブログから始めるよ~。