2006年7月29日土曜日

ナルニア国物語って催眠と同じだったのね

子どもが夏休みに入って、少しは遊んでやらにゃならんってことで、
先日、発売されたばかりの「ナルニア」のDVDを買ってきた。

「ナルニア国物語」と言えば、小学1年生の頃だったか、
父が本を買ってきてくれて、ワクワクしながら読んでいた。

6歳くらいの女の子ルーシーが、ある日家の中でかくれんぼをしているうちに
大きなたんすに隠れ、そのままナルニアの世界にスリップしてしまう。

このシーンを見ているうちに、
「なんだ、これって催眠誘導と同じ方法じゃないの・・・」
と。。。。。

よく、催眠誘導するときに、
ドラエモンの「どこでもドア」みたいに、たくさんのドアを思い浮かべてもらい、
そのドアを開くと、前世が広がっている、なんていう手法を使う。

実はドアでも暖簾でも、ふすまでも、なんでもいいのだ。
道の角を曲がってもいいし、階段を降りきってもいいし、階段を登りきってもいい。

とにかく、その向こうには未知の世界が広がっている、
ってかんじで、イメージを湧かせる。

子どもは想像力を働かせる天才だから、
たんすの奥深く入っていったら、
転んだ拍子に、いきなり雪に覆われたナルニアに入り込んでしまう
なんてことも、簡単にイメージできる。

大人になると、なかなかこんなイメージが湧いてこない。
でも、催眠に入れば、普段は湧かないイメージも湧きやすくなってくる。

「ナルニア」の最後のシーン。
ナルニアにスリップしていた子どもたちは、
ある日、森の中を歩いているうちに、突然たんすを抜けて現実世界に戻ってしまう。

現実世界に戻ったルーシーが、ある日、たんすを開けて中に入ろうとする。
すると、その家の主である教授が言うんだな。

「ナルニアにはそんなに簡単には行けないよ。
 でも、行くべきときにまた行けるように、
 いつもしっかりと目を開けて見ていよう。」

この最後のセリフには、なんだかものすご~~く大きなものが隠されている気がする。

大人になると、簡単にはナルニアの世界を見ることができない。
イメージをできる心を持っていなくては、たんすの奥はただのたんすなんだ。

常識でしか物事を考えられない心でいると、新しい発見はできない。

子どものような自由な心を持ち続けていることが、
きっと「目を開けて見ている」ってことなんじゃないだろうか。

自由な心を持っていれば、
自分の心に湧いてくるイメージがいろいろな学びを与えてくれる。

ファンタジーっていうのは、催眠と同じだよな~~。

つくづく、そう思う。

2 件のコメント:

  1. 物事を純真な目で見ることはだんだんできなくなりますね。
    でもそのようなフィルターをすぐ外せるような状況になれることは大人になっても必要ですね。

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  2. イニシアさん
    そうですよね。
    フィルターを作ったり、はずしたり、柔軟にできるってスゴイと思います。

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